史書に見る史実の多くは無味乾燥ですが、史跡は正真正銘の歴史の語り部です。 散在する史跡を尋ねるうちに、その地域の歴史を広がりをもって実感できます。
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ローマカトリック教会の古い伝統を守り、中央集権のもと自発的発展を不当に抑圧されてきた民衆の不満を地盤として、1517年ルターの95ヵ条の発表など、プロテスタント諸派の宗教改革運動が始まった。

一方、この宗教改革の急速な発展と普及に触発されて、カトリック自体の対抗改革運動もまた盛んになった。1533年に創立されたイエズス会は、神への新しい気迫に満ちた騎士道的献身と従順の精神を支柱にして、大航海時代の波に乗り海外伝道へ乗り出していった。

とき、あたかもルネッサンス時代で、キリスト教義も新しい科学に裏付けられ、論理的に磨かれていた。

一方、我が国に伝来した仏教はどんな発展をしただろうか。 八世紀末九世紀始めに成立した南都六宗は大寺院の中だけの小乗仏教であった。しかし、地方豪族たちはこの絢爛豪華の外来文化に魅せられ、古来より自分達が祀って来た神が仏教に帰依したいとご託宣を下されたとして、各地の守り神が座す神社に神宮寺を併設した。神仏習合の始まりである。

九世紀始め、僧・最澄と空海が唐から招来した大乗仏教の天台宗と真言宗は、この神宮寺を通じて全国に弘まって行った。

十三世紀に入ると、阿弥陀信仰の浄土宗・浄土真宗、禅宗の臨済宗・曹洞宗、法華経の日蓮宗及び踊念仏の時宗などが武家や民衆の心を捉えるようになる。特に浄土真宗と日蓮宗は夫々農民と町衆の間に支持を得て、十六世紀の戦国時代には両派の間で血を血で洗う凄惨な闘争を繰り返し、やがて信長の手で徹底的に打ちのめされる。

この頃に日本に入ってきたキリスト教はその磨かれた論理性と科学性により忽ち武士と民衆の心を奪った。

彼らは堕落した僧侶に対し、戒律の厳しい宣教師の姿に好感を抱いた。フロイス著「日本史」の1551年(天正十九)の項にザビエルの次の言葉を掲げている:
禅宗の僧侶達がいるある非常に大きな僧坊(注:臨済宗妙心寺派・安国山聖福寺、福岡県御供所町)へ行った。ここの僧侶達は現世外には何物もないと信じており、悪事を行う相手にしている多数の稚児を公然とおいていて、彼等の間では何の恥ずるところもなく、自然に反するあのいやらしい罪が盛んに行われていた。

我が国では、男色の小姓という制度は奈良朝から行われていたらしく、十二世紀頃叡山の僧の間でも稚児を置くことは当り前であった。真宗の祖・親鸞の孫に当たる第三世・覚如も幼い頃、無理やり三井園城寺僧正の稚児にさせられている。宣教師から見れば、かような行為は不道徳の極みであった。

インドから中国を経由して日本にもたらされた仏教の思想の根源は経典がすべてであった。親鸞や日蓮は佛説無量寿経や法華経の経文を自分達に都合の良いように解釈するだけで、経典を凌駕する思想への発展はなかった。僧侶達の古めかしい説教と堕落した姿にあき足らなかった人々は、合理性に富んだキリスト教に限りない魅力を感じたのは当然であったろう。

ポルトガル船に乗りやって来たイエズス会の宣教師達は、宣教だけでなく貿易の二本立てを望んだ。少し遅れて、太平洋を渡ってきたフランシスコ会の宣教師達も同様であった。宣教を拒否し、貿易のみを望んだ秀吉は1587年(天正十五)、宣教師を追放し、その後を襲った家康も臨済宗の僧崇伝に伴天連追放令を起草させ、キリシタン禁制から鎖国に踏み切った。

キリスト教に恨み重なる仏僧達は、幕府の威令を借り異教徒のキリシタン達に厳しい罰を加え、ほぼ一世紀にわたるキリスト教との抗争にピリオドを打った。1637年(寛永十四)に起った島原・天草の乱は、日本キリスト教の終わりを告げる壮大な儀式であった。

キリスト教の追い落としに成功した仏教は、自ら江戸幕府の行政下に入り、民衆を支配するという安定した地位を得て、葬式仏教と化して行く。

明治新政府の神仏分離令により、長年仏教の下にあった神道、特に吉田神道、の復活を見た。中国からもたらされた朱子学に対立する立場で独自の思想を育んできた国学も、桧舞台に立った。しかし、その神道も第二次大戦の敗戦にいたる過程で軍の指導者とともに国民をミスリードしたとの批判にさらされた。

戦後の信教の自由化により仏教もキリスト教も、そして日本古来の神道も数ある宗教の一宗派になった。

神道以外の宗教団体は、首相の靖国参拝は憲法違反で信仰の自由に反する行為であり、民間ならいざ知らず、国家機関は宗教色があってはならないと主張する。それもこれも、神道が軍部と結びついて国民を戦争に駆り立てた恨みが根源にあるからだ。

そう言うなら仏教も江戸時代、キリシタン禁制で幕府に荷担して民衆を支配したし、キリスト教も十三世紀にヨーロッパで異端審判により多数の信者を火刑に処したばかりか、アルビジョア十字軍を南フランスに派遣し空前の惨劇を繰り広げた事実も忘れてはならないだろう。どのセクトも過去に恥ずべき蛮行の歴史を抱えている。それを押し隠して憲法違反という表面的な理由を挙げて神道を攻撃するのは卑怯なことだ。

その一方で近隣諸国の肩を持って反対する一派、無宗教の唯物論者達がいるが、彼らには"理"が先に立ち、"情"が全く欠けている。能面のような無表情で事実だけをもとに相手を論破しようとする非人間性はこの種の宗教論議には馴染まない。

自派の利害はさておき、国のために身を捧げた英霊の永遠の安寧を願い国家的視点に立った論議が必要である。

写真:瑞巌寺の境内で見かけたゆりの花