史書に見る史実の多くは無味乾燥ですが、史跡は正真正銘の歴史の語り部です。 散在する史跡を尋ねるうちに、その地域の歴史を広がりをもって実感できます。
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2005年12月11日午後3時、長崎湾口をまたぐ九州一の斜張橋「女神大橋」
(愛称:ヴイーナスウイング、長さ:1,289メートル)が開通した。

2006年4月、長崎訪問を機に早速渡ってみることにした。大浦海岸に沿って南下し、戸町トンネルを出たところで右折して再び海岸に下ると、頭上に雄大な女神大橋がかぶさってくる。その直下で左折して取付道路を登る。橋の袂の駐車場に車を停め、西側を見ると大橋全景が目に入る。将来、この大橋東詰から先に道路が建設される予定と聞く。

一年前、長崎・高島間を船で往復した時は、両岸から伸びてきた橋床が10メートルほどの間隔まで接近していた。その後、閉合ブロックを海上から吊り上げて接続された。橋の名称は東岸のギリシャ風の地名「女神」にちなんでいる。通行車がほとんどないので、のんびりと徐行しながら渡る。橋の両側は遊歩道になっている。一旦停車して車を降り、歩いて北側から長崎港を望見したが霞がかかって見通しがよくない。

橋を渡り終えると左手下方に神崎神社が見える。神埼鼻海岸からこの神社へ参拝するにはかなりきつい勾配を登らねばならないが、その神聖な神社を見下ろすのは不敬な感じがする。やがて百円玉を投入すると横断木が上がる無人料金所を通る。こんな安い通行料と少ない通行量で、国と県とが橋の建設に投じた事業費850億円を償却できるはずがない。

伊勢湾岸自動車道には連続して三本の斜張橋(名港東大橋、名港中央大橋、名港西大橋)があり、普通自動車の通行料はそれぞれ250円、300円、300円だから、これと比較すると女神大橋の通行料は安すぎる。なお、名港中央大橋の下を一日約400隻の船が通るが、その中に大型船も多いので海面上47メートルの空間を確保している。女神大橋の海面からの高さも65メートルだから、メインマスト高さ43.5メートルの世界最大級の帆船・日本丸もらくらく通行できる。

地球深部探査船「ちきゅう」は長崎港外の三菱重工長崎造船所香焼工場でデリックを搭載した。その高さは118.4メートルであるから、この船はどちらの港にも入港できない。2005年秋、「ちきゅう」が完成披露のために名古屋港に来た。もちろん中央大橋を通れないので、その手前の金城埠頭に接岸した。

木針ICを過ぎてなお北上し大浜トンネルを過ぎると、在来道路の202号線にぶつかる。左折して福田浦経由彼杵半島西岸を北上すると、出津教会(長崎市外海町)、中浦ジュリアン出生地(西海市)、横瀬浦(西海市)など、キリシタン関連の史跡を訪ねることができる。

202号線を右折するとすぐ、狭くて長い飽の浦トンネルに入り、これを抜けるとそこはもう昔ながらの喧騒渦巻く長崎市内で、左側は稲佐山麓にへばりつく家々、右側に三菱重工長崎造船所の煉瓦塀が続く。渋滞する道路を我慢しながら水の浦で右に鍵の手に曲がると、視界が広がって前方に再び長崎湾が見えてくる。左手に三菱電機、右手対岸に夢彩都を見ながら海岸沿いに北上して、その先の旭町から旭大橋を渡ると長崎駅前に戻る。こうして、私が勝手に想定した新観光ルート「長崎湾周遊」は物足らぬままあっけなく終った。

長崎県と市が2億2千万円をかけて整備した橋のライトアップも新たな観光名所として登場した。この大橋は二十余年の紆余曲折の末、街の交通渋滞を緩和する決め手としての役割をになって建設されたというが、とりあえずは新奇な観光資源になるのだろう。

それにしても、破綻に追い込まれたハウステンボス(佐世保市)に始まり、第二西海橋(佐世保市・西彼町間:170億円)、県美術館(出島町水辺の森公園:88億円)、長崎歴史文化博物館(立山一丁目:80億円)、そして本命の長崎新幹線と、他県では終わりを告げたハコモノ行政が今や真っ盛りなのは奇異な思いがする。バブル以降先送りされ、やっとお鉢が回ってきたと喜ぶべきか。