史書に見る史実の多くは無味乾燥ですが、史跡は正真正銘の歴史の語り部です。 散在する史跡を尋ねるうちに、その地域の歴史を広がりをもって実感できます。
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このプロジェクトの目的は、核分裂を起こすとして知られている一個又はそれ以上の物質内で速い中性子の連鎖反応によりエネルギーを解放する爆弾の形をした実用軍事兵器を創り出すことである。

私は講義を始めた。私は「爆弾」について話し始めた。数分後、オッピー1がジョン マンレィを私のところに遣って、その言葉を使わないようにと言った。マンレィは多くの作業者が周囲にいる、といった。安全について心配していたのだ。私はそれに代えて「装置」という言葉を使わざるを得なかった。この入門書でコンドンは二通りで記述している。しかしこれ以後、ロスアラモスでは我々が開発している爆弾のことを「装置」と呼ぶようになった。

1、ロバート オッペンハイマーのこと

第一章は、ロスアラモスでの我々の目的は実用的な軍用兵器を造るのだということを明確にする。その兵器は飛行機で持ち運びできるくらい小型で軽量でなければならない。2 百トンものものを造っても何の役にも立たない。そこが我々の関心事であった。

2、ロスアラモスのエドワード テラーの黒板に私は兵器リストが書かれているのを見たことがある。夫々の兵器のアイデアが能力と特徴を並べて 記してあった。そのリストの最後に大きく、投下法は「裏庭」と書いてあった。その設計は地球上のすべての人を殺すであろうから、それを他所へ持って行く必要はなかったのだ。
この兵器は核分裂から得られるエネルギーを用いて造ることになっていた。核分裂には歴史がある。1939年までの長い間、ウランを中性子で照射し続けてきた。それまでウランは最も重い元素であった。人々は照射されたウランは中性子を捕捉し、周期律表上でウランを上回る元素、超ウラン、に変換できると考えた。1930年代にバークレーでのセミナーで、化学者達が想像上の超ウランの化学を説明するのに苦しんでいたことを思い出す。化学ではどうにも説明がつかなかった。ドイツに住むオットー ハーンとフリッツ ストラウスマンは、物理学者リセ マイトナーと共同研究して、超ウランを作ろうとしたがそこで全く別のことが起っていることを見出した。実際は、ウラン核は二つに分かれ、その時に大量のエネルギーを放出する(一対の余分の中性子も共に放出されることを数人がすぐ立証した)。この発見により、誰もがこれから兵器を造ったり電力を得ることができると考えた。

最後に、我々が興味を抱いているのは速い中性子による連鎖反応であり、これについては後に説明する。