史書に見る史実の多くは無味乾燥ですが、史跡は正真正銘の歴史の語り部です。 散在する史跡を尋ねるうちに、その地域の歴史を広がりをもって実感できます。
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B-29が多数、編隊を組んで愛知に来襲したのは下表のとおり、二十四回あった。 他に、偵察目的等のために単機で来襲したのも多数ある。それらを早く調べ上げ、体験者の生存中に愛知空襲の全貌を把握する必要があろう。右の写真は、戦災で全焼し昭和三十四年再建された名古屋城である。

愛 知 空 襲
番号 日付 目標 機数 爆撃法 焼失面積

12

12.13

三菱発動機

90

昼間高高度

0.064平方キロ

13

12.18

三菱航空機

89

同上

0.086

17

1.3

名古屋港

97

同上

0.013

19

1.14

三菱航空機

73

同上

0.015

22

1.23

三菱発動機

75

同上

不十分

34

2.15

三菱発動機

117

同上

0.019(5.4%)

41

3.12

名古屋市街

310

夜間低高度

5.285

44

3.19

名古屋市街

310

同上

7.618

45

3.25

三菱発動機

249

同上

0.016

48

3.30・31

三菱発動機

14

同上

僅少

59

4.7

三菱発動機

193

昼間中高度

0.333(94%)

174

5.14

名古屋北部市街

524

同上

甚大

176

5.16・17

名古屋南部市街

516

夜間低高度

良好

193

6.9

愛知航空機

44

昼間中高度

95.7%

210

6.20

豊橋市街

141

夜間低高度

1.4(50%)

226

6.26

造兵廠千種

35

昼間中高度

効果大

227

6.26

造兵廠熱田

32

同上

同上

229

6.26

愛知航空機永徳

67

同上

同上

230

6.26

住友金属

33

同上

同上

264

7.13

一宮市街

130

夜間低高度

0.241(8%)

280

7.19・20 岡崎市街

130

同上 68%

287

7.24

愛知航空機永徳

74

昼間中高度

未確認

290

7.24

中島飛行機半田

127

同上

44.2%

317

8.7

豊川海軍工廠

131

同上

甚大

(注)番号:作戦任務番号
  日付:爆撃時(日本時間)、番号17以降は1945年
  機数:出撃機数(目標上空に達した機数はもっと少ない)
  青字:本編で取上げた作戦任務

他に、作戦任務第289号は三菱名古屋機器製作所(名古屋市中村区岩塚町)を攻撃する予定であったが、天候不良のため、三重県津市に変更した。

三月十二日の名古屋市街空襲は、B-29による対日戦略爆撃の方法を一変させた日本の四大都市(東京・名古屋・大阪・神戸)に加えられた五回の夜間低高度焼夷弾攻撃の二回目である。なお、三月十九日の空襲はその五回目にあたる。

名古屋市の東北部にある三菱発動機には執拗に攻撃を加え、六回目(第五九号)でやっと甚大な損害を与えることが出来た。

五月には名古屋市街の北部と南部に大規模な爆撃を行った。
十四日の最大機数による昼間爆撃では、名古屋市民が誇りとしてきた名古屋城の天守閣が猛火の中、二時間燃えつづけた後、崩れ落ちた。
この攻撃で米軍側の損害も大きく、喪失十一機、損害六十六機、総員五千九百二十六名のうち戦死八名、行方不明四十一名、負傷十三名であった。

六月九日の愛知航空機空襲は本編で解説したように、更に戦術をエスカレートさせた多目標を同時に昼間目視精密攻撃する最初であった。以後、各地の軍需工場が多数その標的になった。

八月十五日の終戦当日まで執拗な攻撃は、全体で作戦任務第331号に及ぶ。
SECRET(一部CONFIDENTIAL)に指定されていたその膨大な報告書が、1980年に開示された。筆者はそのマイクロフイルムから上表の中から一部のコピーを入手し、邦訳している。現在までに翻訳が終わったのは、作戦任務番号第34号、第41号、第45号、第193号、第317号の五報告書だけである。各報告書の規模はA4版約五十ページで、かなり詳細な内容を含む。

例えば二月十五日の三菱発動機攻撃(第34号)の一部の記述を要約すると:
計画された機数は百二十七機であったが、離陸失敗があり本州に向かったのは百十七機であった。途中、洋上で予想外に勢力を増した前線に行く手を阻まれて分散してしまい、目標を攻撃できたのは三十三機に過ぎなかった。従って、成果も僅かであった。この作戦に参加したB-29搭乗員は千三百六人であり、一機が洋上に不時着して搭乗員十一人が行方不明になった。
洋上捜索中、一人の生存者を発見し五人分の救命いかだ、信号キットおよびGibson Girlを投下し、生存者はこれを確保した。その夜接触を失い、翌日は視程が不良のため位置確認と救助が出来なかった。

文中、Gibson Girlの意味が分からず、知人に調べてもらい、手回し式緊急用発電機であることが判明した。「現代スラング英和辞典」(秀文インターナショナル)に次の解説が載っている:
第2次大戦のために手回し式のSOS発信機が何トンも作られた。女性の曲線美を思わせるその形からギブソン・ガールと呼ばれた。