史書に見る史実の多くは無味乾燥ですが、史跡は正真正銘の歴史の語り部です。 散在する史跡を尋ねるうちに、その地域の歴史を広がりをもって実感できます。
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淀川の水

殺りくの修羅場・六条河原について語る前に、 今私が立っているこの五条大橋について述べ ておかねばならない。京の歴史に詳しい人は ご存知だろうが、あの義経が弁慶をきりきり 舞いさせた京の五条の橋は、実は一つ上流の 松原橋であった。松原橋から東に入ったとこ ろにある京菓子店の菓子箱に入っていたしお りに、あの由緒ある五条大橋の名が、関白秀吉 によって六条坊門小路に新しく架けられた橋 に持って行かれた次第を語っている。それに よると、秀吉が居住していた伏見城から御所 へ伺候(しこう)するのに、伏見街道(今の本町 通)を北上し、五条大橋(今の松原橋)で加茂川 を西に渡っていた。秀吉はこれが不便だとし てその手前の六条坊門小路に新しく橋を架け 、これを五条大橋と呼ばせた。彼はここで加 茂川を渡り、御幸町通りを北上して御所に向 かった。御幸町 という名も、上皇相当の身分 の自分が通行するのだからと、 変えさせたの だそうだ。それはともかく 、橋の名が変わることによって 通りの名も変わり、条里名の規則性がゆがめら れてしまったのである。