史書に見る史実の多くは無味乾燥ですが、史跡は正真正銘の歴史の語り部です。 散在する史跡を尋ねるうちに、その地域の歴史を広がりをもって実感できます。
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淀川の水

A.島々の誕生

数え切れない長い間、太平洋の西側の広大な海には島のひとかけらもなかった。そして、ほぼ四千二百万年前、地殻の割れ目から溶けた火山岩が噴出し始めた。ここでは、海底火山が間歇的に、あるものは早くあるものは遅く成長して海面に出現する。そして、最初の島が生まれる。その後、千二百万年或いはそれ以上経って、その島は高い火山に成長し、時には静かに、時には雷鳴を轟かして、岩石や灰や硫黄ガスを空に噴き上げた。

一つまた一つ、海底火山が出現した。地球の大気温度の変化に従って、両極地の万年雪が周期的に大きくなったり融けたりして、それに応じて海面の高さが変化した。温暖な年代では万年雪が溶けて、いくつかの島々は海面下に没し、再び姿を現すことはない。これらは海山、温暖で浅い暗礁に栄えた海洋動物の活気に満ちた生育地、として存続した。ある島は一時的に海中に没し、その間に厚いサンゴの沈殿物で覆われる。大気が冷却すると万年雪が大きくなり、海面が再び下がる。こうして現れた島々の嶺は、今日見るような平坦な石灰岩で出来ている。

時には、新しい火山爆発が古い島の石灰岩の嶺を突き破って新しい山頂と堅い火山岩の岩脈を造り出す。この後の噴火によって発生した熱は古いサンゴの岩を今日CASCAOとして知られるものに変える。究極的に、500マイルの長さに連なった15個の島々が造られた。これらの島々は、全世界の大洋の中で最深の谷として知られるマリアナ海溝の西側60から100マイルのフイリッピンプレートの縁に沿って誕生した。

石灰岩の嶺とより柔らかい火山灰の沈殿物が太陽、風及び雨、台風及び地震によって徐々に浸食され、より堅くより抵抗力のある嶺や山脈が生まれる。浅い谷間や渓谷に集まったもろい岩が最初の土壌を造る。数千マイルを旅する海鳥がこの新しい島々に休息するためにやってくる。彼らの糞は燐酸に富んだ鳥ふん石を造り、それが土壌を肥やす。時には、糞の中に消化されなかった種が含まれている。立派なココナッツのように、海洋を浮遊してやってくる種や、見知らぬ土地からやってくる漂木によって運ばれてくる種もある。

各々の苗木の種は生存をかけて相争う。それらの根は、薄く新しい土壌を掘ってその下の岩を割り侵食作用を助ける。季節が過ぎ世紀が過ぎ、この作用が続くとこの島は深く富んだ土壌に覆われるようになり、それがうっそうとしたジャングルの生成を助ける。土壌、水、そして植物があれば、無数の鳥類が進化する島の生息地になっていくように彼らのエネルギーを添加していく日も遠くない。

(注)上の地図は、国際地学協会「総合世界/日本地理」(1994年版)所載の海洋図の一部です。右上隅に東京、左下隅にヤップ島が入るよう、切り抜きました。

B.人類の生息

人間が地球上に広がるようになったのは、我々の知る限り僅か数万年前に過ぎない。三千五百年以上前、どんなわけがあったか知らないが人間の一群れが祖国を離れ、カヌーで大洋に乗り出した。大抵は東南アジア、多分フイリッピン中部、から我々がマリアナと呼ぶ島々に到着して、彼らはそこに熱帯の楽園を見出した。豊富な食物と新鮮な水を得て、土地の争いもなく人口は増え、推定で四万から五万人になった。のちに、テニアンとして知られるようになった島には五千人が住んでいた。彼らがこの隔離された島の環境で進化したために、これら東南アジア人は最後には今日、チャモロ族として知られるユニークな集団になった。

最近の旧石器時代の研究から、ほぼ40平方マイルのテニアン島のあちこちにいくつかの村が散在していたことが分っている。これらの村々は、食物が得られ水の出る場所にあり、そこにはラッテ遺跡がある。石灰石の平地から切出して来て、地中に埋められたラッテストーンは、マツアと呼ばれるチャモロの貴族達の木造で草葺屋根の住宅の基礎柱になった。夫々のラッテはハリジと呼ぶ垂直の柱とタサと呼ぶ半円形の「かさ石」からなっている。これらの石の六から十四個が二列に平行して立ち、その上に木造で草葺屋根の家が建てられた。より低い階級の村人達は貴族階級の親族と共に暮らすか、または近隣の木造家屋に住んだ。マナチャンと呼ぶ最下級の人たちは、貴族達から少し離れた草葺小屋に住んだ。

マリアナ諸島のラッテ遺跡の中で最も有名なのはテニアンのハウスオブタガで、今日のサンノゼ村の近くにある。それが建てられたとき、海岸から約200フイート離れていた。各々のラッテは周囲の長さが根元で18フイート、高さは「かさ石」を含めて15フイートである。12個の円柱、今日は1個だけ建っているだけだが、6個ずつ2列に並び少なくとも一辺の長さが54フイートと10フイートの家屋を支えていた。

伝説によると、タガと呼ぶチャモロ族の長が今日のタガビーチから巨石を切り出して運んで来たという。彼はチャモロ貴族の中で、最大かつ最強であった。